本を読むことの良さを書き出してみたら5つ〜∞個存在した話。

本が好きです。
はい、本が好きでした、昔から。
「本にだけは金を惜しむな」と、ありがたくもベタな母の教えのもと育てられた私は、物心ついた頃から本が好きでした。

記憶が形成される前から何度何度も読んだ絵本。たしか馬の話だったはずである。
いとこに貰った世界の童話。
おばあちゃんちに行く都度なぜか買ってもらえたドラえもん(漫画だけどテヘペロん)
図書館にある地球のふしぎみたいなやつ。世界の歴史的なシリーズ。
宇宙のふしぎも、世界七不思議と世界新七不思議も、世界四十九不思議くらい読んだな。
小説もどっぷり。
あと、世界地図もずっと見てた。
暇つぶしに地図を見てた。

なのにどうしてこんなにも方向音痴なのかについての検証は一旦棚上げさせていただきます。

本大好きだけど、陰キャではなく、毎日放課後に図書館で本を一冊借り、下校時刻まで運動場で遊び倒し、家に帰ったら本を読み、テレビを見て寝るというライフスタイルをバキバキに決め込む、今では考えられないほど時間を有意義に使う小学生でした。アノコロ二…!

本の虫からスマホ依存の蛾になった私でも、本の良さ、少しは語れます。
本の良さは語ればキリがありませんが、

①コスパ

本ほど、コスパのいい娯楽はないと思います。
娯楽をコスパで語るのもナンセンスではありますが、
フラペチーノくらいの値段で買える文庫本が、
数日間も心をワクワクさせてくれ、自分じゃ体験できない経験を垣間見せてくれ、
場合によっては人生観を変えることも。これってすごくないですか?
実際人生観が変わることなどほぼなく、私の身体の上をただ通り過ぎていく無数の文字郡でしかないんだけど
きっと血となり肉となって、1/60億でしかない私には体験できないベクトルに世界を広げてくれる。強い感謝。

②国語力

本を読んでいたら、国語は一切勉強しなくても意外といい点取れます。まじだよ多分。だけどほんとは数学ができる人になりたかった。かっこいいから。
後遺症でExcelとかめっぽう苦手です。理系脳の方が社会に出てよっぽど役に…fghjぃおう9いゆgbkj!!!
あと、漢文と古文は調子に乗ってたらめっちゃ見失います。ご注意を。
ちなみに私は歴史シリーズが好きだったので日本史もちょとだけ楽チン丸でした。
地球のふしぎとかも好きだったから理科も楽チン丸だったのに、理科が生物・化学・物理にCHEMISTRYした瞬間にアレルギーが発症しましてね。物理の数式とか使いこなしたかったなぁ。アインシュタイン。

国語に甘んじて詰んだおはなし。

③ちりょく

たそは、たいりょくが5あがった
たそは、まりょくが2あがった
たそは、ちりょくが7あがった
たそは、まほうぼうぎょりょくが2あがった
たそは、うんが3あがった

ちりょくは、何に作用するんだ、魔法の威力か?いやそれはまりょくだろ。
本好きって言ってたら勝手に知的と思ってもらえるラッキーシステムは依然として存在します。
ご年配の方とか特に本お好きですしね。
ちりょくに本当に作用しているかはわかりませんが、知的風になれます。これは、カバンの中にうっすい文庫本、
夏目漱石の短めのやつくらいを入れておいたら、同様の効果を得られる可能性があるので、
こころを買って、あらすじのみを、絶妙な相槌を打てるレベルで暗記しておけばよいかと思います。
なんでうっすい文庫本かっていうと、知的に魅せる小道具でしかないなら、軽い方がいいだろうという配慮です。やさお。

④語彙力

あがるよ。多分。

⑤文章力

はあるかわからないが、長文を書くことに苦はなくなる。
いや、苦悩だらけだ。
そこに曲がりなりにもにも美学を掲げてしまったから、ありきたりな文章で終えられない。
誰にも引っかからない正しい文章を書く説明書職人になりたいわけじゃない。
だからお前アフィできないんだよ。(´;ω;`)えーんえんえん。
違うもん、利点の話してるもん。良いとこまだまだあるもん。

ほーらほらほら、あげるとキリがない本の良さ。キリがないのにもうあげないのは書くのがめんどくさくなってきたからではありません。きっとね。

とにかく、本はいいです。
読む本は、物語からドキュメンタリーモノまで。
なんでも好き。雑食。
ミステリー、貧困のルポルタージュ、起業家のドヤ本、料理本、歴史本、漫画も好き。
あと栄光と転落の小説とかも好きですね。宗教に洗脳される小説とか。やばいやつかよ。
最近のイヤミスとも呼ばれる読後感悪いやつも好きだけど、オチがフワッとしてたらイラッとする。オチはスカッに限る。読者に委ねないで!

しかしながら、本は好きだけど、置き場に困るから読み終わったらすぐ人にあげたりする。
かさばる。だけど電子書籍は嫌なんだよね。そろそろでかい本棚おける家にひっこしたーい。
目が疲れるってのもあるけど、ページをめくるたびに脳に積み重なる物語と左の親指に感じる残ページのバランスをワクワクしながら感じたい。ときには後戻りしながら読みたい。好きに読みたい。

あとさ、自分の引き出しにはない本に出会って身悶えたい。友達の家の本棚、親の本棚、あの人の机にある本。思いもよらない出会いが自分の世界を広げてくれる。誰かの意外な一面や、自分と相通ずる点を見つけて喜びたい。本棚は性癖を表すなんて言った人もいたね。

本が好きってことは、本屋が好きってことと類義語です。
本屋なら何時間でもいれる。
出版不況。つらい。本屋がなくなるのはいやだから、電子書籍でもAmazonポチでもなく、
私は本屋さんで本を買いたい。

あたかも現役本の虫のようなつらつらを徒然なるままに書いてしまったのですが、
ゲーマー時代を挟んでのスマホ中毒のため、年々読書量は減っています。
本を読みふける集中力も欠けています。コンテンツ過多な昨今、一つのコンテンツにじっくりと向き合うことは難しくなっています。ましてやネットやSNSという速報性のあるコンテンツを手にした共感したがりの我々にとって。だから最近 小説の世界にどっぷり逝けません。哀しいかな。

ふと読書における自己分析をしてみたんだけど、
小説を読みふけりたいときは、内省的になっているときで
ビジネス書なり啓発本なりを手に取ってしまうときは「ガンガンいこうぜ」の命令が自分にかかっているとき。
共感してくださる人がいたら、嬉しいとまではいかないけど、フフンってなるかもな。

嗚呼、本の良さを語ればキリがないのに、最近おもしろい本に出会えない。
というか本と向き合えず、スマホでしょうもないニュースを読むことに終始してしまっている。
よくないね。

かといって本を読むことが義務感になってしまったら、
本が奏でるメロディを澄んだ心で聴くことができないじゃない?
いつか脳みそにUSBメモリをガチャっとしたり
ブルートゥースでヒュンっってやったら、読後感が味わえる世界が来るだろう。
本が好きな私はそれを喜ぶのだろうか。
それとも、文字を目で追うときの、手のひらサイズの冒険心がなくなることに憂うのか?
それまでは、赴くままに、ページをめくろう。
それが今日までの私を作ってきたから。

とかそれっぽいことを言ってさよなら!

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