女子会という名のダンジョンに潜むスピリな人について

女子会という名の最強ダンジョン

女子のキラキラ勉強会に参加した。向いてないと気付いていたのに。どうして全員で当たり障りのない一つの話題するの?全員均等に話振らなきゃダメ?話題が好奇心の赴くままにポンポン変わっちゃダメ?置いてけぼりにならずに己から付いてこいよ!どうしてデフォ褒めなの?どうしてスピリなの?

ああ、そうか、アファメーションが、褒めがベースにあるからツッコミ思考の関西人には向いていないのかな?そうだよね、オチのない話をズゥっとするからつまらないんだよね。そこか。そこか?

私だって、私とて、『可愛いものに囲まれてるとずっとハッピーでいれるの♡』とか言いたい人生だった。カラダの内側からキレイを目指すより、唐揚げとビールで仕事の話してる方が楽しいってどういうこと?

悲しいわ!だって女子会というダンジョンをクリアできなきゃ、一流の女子になれないじゃん?

だけどさ、女子会の楽しみ方が本当にわからないの。たのしめる方の女子になりたかった。

スピリな人

女子会クラスタとスピリクラスタは一部被っている。女子はスピリ好きが多い。私も別に嫌いじゃないよ。しいたけ占いみてるよ。だけどそう。過度にスピリな人って怖いなって。何かに盲目的に傾倒してる人怖いんだよ。

だってさ、なんかみんな淀んでない?肌とか汚くて、服もダサい寄りの無難で、てか顔に自信のなさがにじみ出てて、だから全く印象に残らないの。ダンボールにAB子って書いてあるアバターと喋ってるみたい。

あとさ、先生(いわば、悪気なく彼女たちを食い物にする一握りの成功者)だけやたら美人で、フォロワーたちはくすんでる。これって情弱ビジネスだよね。

足りないのは意志と自信。

なりたい自分に届いている人なんてそんなにいないよ。みなないものねだり。だけど、そこにリーチするための手段や距離がきちんとわかっている人は、あまり淀むことがない気がするの。自分の心すらもあやふやなひとは、輪郭がぼんやりして今にも消え入りそう。自信がなさ気に人の目を、反応を気にしながら喋ってる。

SNSに投稿できそうな日常を送らなきゃ!

今の私は“いいね”されるような私?

人から笑われない私ですか?

ねえ、一体だれの目を気にしてるの?メタ視点が持てるのは素晴らしいことだと思うけど、それはメタ側の目が、自分の眼だからだよ。自分でも誰か分からない誰かの目を気にして生きたって、誰も“いいね”してくれないよ。

自分で自分に“いいね”できる自分になりたいじゃない!(song by キラキラ講師)→はい、スピリ街道~。GOGO

嗚呼、やはり女子会という名のダンジョンは手強い。どう考えても悲しいことにクラスタが違う。そのダンジョンに挑んでも、私が得られる経験値はそこにない。だって挑んでるゲームが違うから。

マジョリティでいられることは楽だ。なぜ楽か?集団戦で弱さを隠せるから。「私なんて」という辛い気持ちを、「かわいいね」「すごいね」「楽しいね」と、ありきたりの共感という消しゴムで消す作業。それは対処療法でしかないのだけど、それが心地よいときもある。羨ましいときもある。鈍感は才能だ。

その違和感に気付いてしまった私は、勝負に勝って人生に負けたのかもしれない。ここまでこれを読んでくれている貴方もきっと。されど。されど、なりたい自分に届かなくても、私はなりたくない自分に成り下がりたくはないのだ。あ、無意識的に下に見てすみません。フィールドが違うだけでカーストではない。

そう、ゲームの違いだよね。PSVRとスーファミってことだよね。あれ、それでいうと私スーファミ結構好きだったな。

 

あれ、涙が。

そんな私に私から贈る、“いいね”

1 Comment

虹色

すっごくよくわかる。その「違和感」があるうちに、そういう人種やスピリ情報とは距離を置いてください(もうわかってると思うけど)。
慣れすぎると違和感すらも感じなくなってしまいます。そうなったら怖い。
洗脳されてないから、違和感を感じるんですよ。その感覚は普通だし、正常なのです。
自分と似た人種と繋がり続けておくことで、そういったマジョリティーからの麻痺は防げます!

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